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実家のお盆
今年は横浜の妹も、東京のわたくしも愛媛の実家でお盆を迎えることが出来ませんでした。
写真は兄から送られてきた迎え火です。
兄はこの炎(ほのお)を観て、姉(2歳半で兄の生まれる直前に亡くなる)や両親(享年父92歳、母99歳)の御霊(みたま)が帰って来てくれたことを確信した、とメールに書いていました。
終戦まで山口県防府市に住んでいた両親は、昭和22年、父の郷里愛媛県に職を得て母がわたくしを身籠って、5か月の身重で今治に帰ってきました。
住む家もなく、引き揚げ者寮でわたくしが生まれました。
産後数日もしない時に寮の炊事場で、少し気の振れていた元兵隊さんに、いきなり母が顔を殴られ、七輪に前歯をぶつけて7本折り、ショックで母乳が出なくなりました。
親切な人の紹介で、わたくしは山羊(やぎ)の乳で育つことが出来ました。
さて、両親が亡くなる前に、兄と姉は献身的に介護をしてくれました。
兄は高速道路の下敷きになる実家立ち退き交渉も、両親の菩提を弔うための築45年の小さい家を用意することも、全てやってくれました。
わたくしと妹はそれらをどのくらい有難いと思っていることか計り知れません。
兄のすぐ下の姉は実家近くに住んでいます。
日頃毎月お墓の掃除をして花を供えてくれています。
姉は、いつもお墓が綺麗で両親も気持ちがいいように、家でも毎日お経を上げてくれています。本人は控えめで少しも言葉にしない人ですが、皆の為に良かれと思ってそっと実行する人です。
妹も黙って家族の為に費用を出してくれています。
母の生前、毎月必ず母にお小遣いを送っていたのを兄妹みんな知っています。
あんなに質素に暮らしているのに、わたくしの帰省の費用も出してくれるのです。
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兄妹4人ですが、全員70歳以上になりました。
昭和も平成も遠くなりましたが、兄妹仲良くやっていきたいと思っています。
今日は8月15日。
戦死した叔父を含めて神仏の賑やか(にぎやか)な日です。
祀り(祭)ですから。
全ての御霊に感謝と御報告。