
私の健康のこと
15歳(高校1年)から剣道の稽古を始めました。それから20数年、何があっても毎日2時間は剣道をはじめ、各種武道の稽古に取り組み汗を流しました。息も絶え絶え、という状況になるのは当然と思っていました。
大学入学で上京してからも毎日、警察署、機動隊、日本武道館(武道学園に入学しました)、渋谷にあった錬武館道場、稽古ができるところへは何処でもでかけ、お世話になりました。
大学院進学の為に、夜の一部は日中学院、アテネフランセにも通いそれぞれ2年で卒業しました。
剣道のほかに、神道夢想流杖道、夢想神伝流居合道、太極拳、を稽古する傍ら、希望通り大学院にも進み、奨学金とアルバイト(高校講師・国語、書道、写植のオペレーター、写真撮影、版下作り)でなんとか生活できました。有り難いことに、日本武道館では女子の指導のためにと高名な先生方に混じって「助手」という仕事も戴きました。
小さい頃から体が弱かったのですが、時々疲れてダウンすることがあっても自分を励まし、頑張ればできました。
お陰で体が自分の思うように動き、「心身一如」の状態とはこのようなものか、というのを体感して各種の大会でも優勝したり、よい成績を収めたりと、得意の絶頂になっていました。
ところが、40歳で乳癌と限局性皮膚硬化症(背中・膠原病のひとつ)で平成元年のお正月はベッドの上でした。(正確には7日で平成となりましたが)
身体を酷使して来て、もう持たない、と体が悲鳴をあげたようです。
その時に、心底体の健康について考える時間がありました。
「今まではいつ死んでもいい、思う存分武道の世界で活躍しよう」と思っていたのですが、初めて「身体を労わる」という方向へ考えが行きました。
ベッドの上は時間があります。古典から今あるものまで、健康法の本を山ほどよみました。
食事療法(マクロビオテック、エドガー・ケイシー療法)へも目が行きました。
野口整体、井本整体、と学び、学校へ通い整体師にもなりました。鍼灸、光線療法(黒田光線)、色々試みてみて、それらが全て私には合っていました。
中でも一番毎日出来て、ぐんぐん健康になっていったのが「呼吸法」でした。それで皆さんに自分でやった呼吸法をお伝えする、ということを始めて今日に至っています。
前後5回の手術をしていて、1回メスが入ると7年は寿命が縮む、とか言われていますので5×7=35年は寿命が縮んだわけです(笑)
まあ、100年の寿命として(長い?)35年を引くと65年なわけで、今日までよく生かして戴いたと、本日2012年9月17日(月)敬老の日に、改めてひとりで感無量になっていました。
もうこれで有り難くも天寿を全う出来たのですからこれ以上の贅沢は言えません。
毎日がおまけですから、毎日目覚めることが奇跡です。
神仏を身近に感じながら、自然に寄り添って、呼吸法を続けて、ひっそりと日々を送りたいと思います。
posted by rinko at 07:50|
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日記