倫子塾では毎週水曜日の夜の上級講座では「魂を磨く講座」を開講しています。
18:30~20:30吉祥寺本部教室・吉祥寺サンプラザビル・スペース18にて。
第1,4週は倫子担当のこころとからだを磨いていく講座(座学が主になります)。
第2週は愛甲次郎先生の瞑想特殊講座(お話と実践)
第3、5週は善先生の古武道の講座(実践)
瞑想のスタイル
瞑想にもさまざまなスタイルがあり、密教では梵字の「ア字」を掲げて見つめて気持ちを集中させる「阿字観」があります。
ひたすら座るもの座禅として多く実践されてますが、瞑想に取り掛かりやすい方法のひとつとして様々な真言・マントラを心の中で唱えることがあります。
大勢が声を出してマントラを唱える「倍音声明・ばいおんしょうみょう」という方法もあります。
これらはマントラ瞑想といわれて、雑念が湧いてくる前に一つのことに集中していれば自然に雑念が湧いて来なくなって無念無想の境地に辿り着きやすいとされています。
姿勢も様々で足は結跏趺坐、半跏趺坐、手は膝に置き、チン・ムドラ、法界定印などを結びます。
瞑想する場所も自分で選んでよく、場所を決めたら六方(東西南北天地)へ挨拶し、場を浄めて東に向かって座ります。足の都合では椅子に座ってもかまいません。
お尻や腰の痛い人は自分に合った座布(ざぶ)を敷きます。
瞑想中は体を動かしませんので楽な姿勢が取れるよう工夫をした方がやりやすいし、体を痛めません。
正座で足がしびれたり、苦痛を伴ってくるものは倫子塾ではお勧めしていません。
人によっては香を焚いたり静かな音楽を流したり気に入った香りや音を取り入れるのもあります。
時間の長さは自分で調整すればよく、決まったものではありませんが、まずプラーナ・ヤーマで5~10分呼吸を整えて瞑想に入るといいでしょう。
40分以上瞑想をした場合は横になって10分ほど休んでその間に別のマントラを心の中で唱えるのも心が落ち着きます。
倫子塾では瞑想の前後にプラーナ・ヤーマの呼吸法を5分〜10分ずつします。
もし、眠くなってしまったら、そのまま寝てしまってください。これほど気持ちよく眠れることもめったにないほどいい気持ちで眠れます。
終わった後で、体をほぐすためにチベットの修行者たちが行ってきたチベット運動をします。実施しているのは5つある中の第2です。
さて、ここでは今日はあらためて真言について述べましょう。
真言(マントラ)とは
真言(しんごん・マントラ)とは
修行者の誰もが辿り着きたい解脱への道標(みちしるべ・みおつくし)
先人や師から借りてきただけの便利なツール(道具)として扱うならそれは安っぽい扱いで、真言(しんごん)という言葉に対して敬意が足りない表れである。
真実の言葉とは、何が真実で誰に対しての言葉なのか。
真言とは本来、全存在としての人が、肉体も精神も魂もひっくるめてその言葉に出会った時にこれこそ真実の言葉だと気づくことができる言葉をいう。
真実の言葉だから忘れることはありえない。
なぜならそれは魂に畳み込まれているから。
そこまで深く人間の内面に沁みこんでいるものだから。
他の何を失ってもこれだけは失わないものとして存在するものだから。
マントラを覚える、という行為は形から入っているだけだ。
この世は一寸先は闇というけれども、闇の中でも道を失わない一筋の光明、道標、それが真言(マントラ)である。
真言はマントラ(パーリー語)の漢訳語。
その素晴らしいエネルギーを昔の人は仏像として形にし、梵字として文字にし、曼荼羅として画にし、経文としてそれを読誦することで音魂として遺した。そのエッセンスが短く凝縮されたものが真言である。
私達が瞑想に入るときに、いきなり無念無想の心理状況に入るのは無理である。
気に入った真言をひたすら唱えると、雑念が湧いて来ず、集中できるのでまず短いマントラをお勧めする。
最も短くてしかも強力な力を持つといわれているのがAUM(オーム)である。
この真言はかつて犯罪者集団によって悪用されたが真言のほうが迷惑だっただろう。
posted by rinko at 10:03|
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