2020年08月18日

つれづれ

2010/8/18
つれづれ

10時間前
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「丁寧に」
好きな言葉です。

教壇に立って42年。

沢山の生徒に出会って来て、
「此の子は丁寧に育てられた子」かどうか、一目でわかるようになりました。


子供の頃はそれなりに、大人になればはっきりと、一挙手一投足、ふとした動作に言葉に現れてしまうもの、それが「育ち」。

昔から「氏(うじ)より育ち」と言われて来ましたが、わたくしは、氏も育ちも、人間の品性を表すと観察しています。

どんな生まれでも、どんな育ちかたをしても、物心(ものごころ)がついた時から、本人の心懸け次第で品格が備わって来ます。

自分で自覚し、善き日を歩もうと思えば、ということですが。

其れをいつまでも、家庭のせいにしたり、地域国家時代のせいにしたり、責任転嫁、他人任せの日を送ると、自分で自分を潰してしまうことになります。
もう少し、違う時代に生まれたかった。
もう少し、金持ちの家に生まれたかった。
それ、自分の人生を他人に委ねていませんか?

高校生ぐらいの年齢になってもまだ、幼い子供のように、駄々を捏(こ)ねると、甘いお菓子が目の前に宛(あて)がわれると勘違いしていませんか?
posted by rinko at 18:19| Comment(0) | 教育

2014年07月05日

「古事記7巻」阿部國治著


わたくしはカルチャーセンターで「古事記に親しむ」講座を2か所で担当しています。

我が国のかたち、成り立ち、いわゆる「国体」をわたくしたち戦後の日本人は学校できちんと習うチャンスがありませんでした。
そこで、今、多くの日本人が、このままではいけない、日本人としての心のよりどころを求めよう、本当の日本人の考え方、やりかたはどのようなものであったか学んでいこう、と考えるようになりました。

それは日本人としてごく自然な気持ちです。

これを右とか左とか、安っぽいイデオロギーで括って偏見を持って見ないことがまず問われます。
戦前の日本人であれば当たり前に学んできた自分の国の歴史、先人の知恵、考え方を学ばない民族が何処に居るでしょうか。

今までの日本の教育の方針が異常だったということに日本人が気づき始めた昨今です。

20世紀最大の民俗学の権威も「13歳ぐらいまでにその国の神話を学ばなかった国の民族は必ず滅びている」と警鐘を鳴らしています。

そこで日本人としての精神の成り立ちを学ぶには「古事記」は最適な資料ですので2012年「古事記成立1300年を記念してさまざまな行事があったのを機に講座を設けることにしました。

この4月に大切な「古事記」関係の名著が復刻重版されました。以下、少しご紹介します。ご紹介する本は現本の文章に忠実に、というよりも原本の精神に忠実に書かれています。

日本人としての、人間としての感動を呼び覚ましてくれる名著です。



「新釈古事伝」<第一集>阿部國治著。栗山要編。致知出版社。

大国主命が背負っておられる袋の中には、この世の中のあらゆる心配事や難しい問題が、いっぱい入っているのであります。
この袋を背負っておられる心は本当の親切心本当の愛の心であります。

http://t.co/NE1PSCngzT

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人の子の罪を償うために十字架に上がられたキリストの道も、

人の子の四苦を見かねて出家され、覚者となられて衆生済度を説かれたお釈迦様の道もありがたいことですが、

お母さまを「お袋さま」と言い、
家の中心の柱を「大黒柱」と言い、
大黒様の像を作って台所にお祭りして、それに親しんできた大和民族の歩んだ道も、まことに結構ではありませんか。(本文より抜粋)


『古事記』を原文、書き下し分、と示して内容は著者の安倍國治先生の例に挙げたように大和魂(日本の精神)はどのようにして我が国で育まれてきたか、美しくわかりやすい言葉で丁寧に述べられています。

その中に大切なメッセージが込められていて、ただただ圧倒されるばかりです。
posted by rinko at 06:13| Comment(0) | 教育

おほやけの心を育てよう



親しくして戴いている「広島まほろば教室」の松田雄一講師のメッセージです。昨今のみっともないおとなの所業から子供たちはきちんとそのみっともなさを見ています。

広島の松田先生ご書道の「素読教室」では、小学低学年から進んで素読をしているうちに「古事記」「教育勅語」「歴代天皇のお名前全部」などなど片っ端から暗誦していきます。

以下引用


「今日よりぞ をさな心を 打ち捨てて 人となりにし 道を踏めかし」吉田松陰



【おほやけを育てよう】

おほやけを育てる…これは教育の極めて重要な目標です。
失敗すればこの社会は珍獣・奇獣博覧会となり、またその状態で「民主制」なる仕組みを用いると破滅的になります。

いい年をして、また議員という公職にあって意味不明のことを叫んで泣きじゃくる…これは教育も民主制も機能していない証拠です。
そこに「おほやけ」がないのです。

ある方から以前聞かれたことがあります。「教育の目的とは何か?」と。
よって吉田松陰先生の和歌をそのまま返しました。
「今日よりぞ をさな心を 打ち捨てて 人となりにし 道を踏めかし」
すると、大変に納得されました。

人となるための道義・道理を弁える…ここが教育の本義です。
人間が社会的な存在である以上、おほやけ…が大事です。

だから「おほやけ」って何だよ!という方。
読み方は「おおやけ」ですね。漢字だと「公」です。
要は「公」が育っていない社会が現在であり、そのほとんどの原因は教育の中にあると思います。

まず私たち日本人が日本建国の理念を知らない。
フランスが「自由・平等・同胞愛」であるとか、米国が「自由・平等・機会の均等」であるとか、そういう外国の建国の理念は知っているくせに自国のことは教えられない。
非常に恐ろしいですね。
そもそもわが国の建国の理念が「おほやけ」です。

神武天皇は「ひとつ屋根の下、人々が家族のようにある国を」という理想をわが国の礎に据えられました。
だから「みんなが大きなおうちの中にいる家族のように」という理念です。

大きなおうち。これが「大宅(おほやけ)」となりました。時代を経て「公」になりましたが、意味が変化したわけではありません。
多くの国が建国から100年目、200年目を迎えることが難しい中、世界でもっとも古い2674年目を迎えている日本。
これは「おほやけ」という建国の理念が大変素晴らしく、実践されてきたからだと言えると思います。

これだけ荒んだと言われる世の中でも、やはり外国人からすれば日本人の他者への労り、公徳心の高さ…こういうものを見れば「家族のまとまりのような民族だ」と思うわけです。
自分たちが気づいていなくとも。

当然、家族が暮らすにはルールがあります。それがないとマトモに おほやけ が成り立たない。
だから、やらねばならないこと・やってはならないこと・積極的にしてきいたいこと・極力控えるべきこと…これを教えていく。すると おほやけのたみ ができます。
おほやけのたみ 大宅の民 だから、家族の一員ってことですね。
漢風に表現すれば 公民 です。

公民…と聞けば、社会の教科書を想像されるでしょうが、あの教科は本来的には きちんとしたわが国家族の一員 を育てることが目的ですが、現在はその機能を果たせていませんね。
公民の教科書にもトンデモないのが山ほどあります。
公民の教科書を使って育った結果が、自分の権利のみ最大限に要求する人…まぁこんなのは家族にいたら困るわけで、当然に公民ではないですよね。
いうなれば 私民 です。

私民であればこそ、人のことはどうでも良くて、自分の利益の最大化しか考えていなくて、不都合があれば逃げるわけです。
公民の中でも特に強く おほやけ の心を宿していてほしい議員が、うおーん、うぇーん、ひぃぃーっ、と意味不明な表現を人前でしてしまう、議員なのに私民なんです。
なんだ、議員はダメだなぁ…と思わないで。
国民の姿が投影されたものが民主制における議員であるわけで、国民こそが恥ずべきなのです。

素読教室に来ていただけたら分かるのですが、古典や偉人伝を通じて私が一番伝えようとしているのは おほやけ なんです。
もちろん自分も立派な人間ではありませんが、おほやけ が崩壊すれば国が滅ぶことくらいは分かるわけです。

今、わが国の領土や人命・財産をいかに守るか…という点でいろいろな議論がありますね。
であれば合わせて「おほやけ」の育て方も本気で考えましょう。

国土や人命・財産を守っても、おほやけがなくなっていればもう日本はないのと同じです。
極東の海上に弧状列島があって、そこに強欲な人たちが自分のためだけに生きている…というそんな状況になります。

考えよう、おほやけ。

引用終わり。


posted by rinko at 05:34| Comment(0) | 教育

2013年10月16日

孟子の教えから「四端」




孟子は、王に「恒心」を説き続けました。

その教えの代表的なものが「四端(したん)」です。

これは「四つの端緒」という意味で、

「惻隠」=他者を見ていたたまれなく思う心
「羞悪」=不正や悪を憎む心
「辞譲」=譲ってへりくだる心
「是非」=正しいこととまちがっていることを判断する能力
と定義されます。

学問は、この「四端」を学びとるもので、これによって人は、「仁義礼智」の四徳を身につけることができるとしたわけです。
それをひとことでいえば、「恒心」となります。



こうした教えを2500年前の支那で説いたのですが、あらためて眺めてみると、支那の現状とはまさに真逆の姿勢を説いているわけで、孟子が就職できなかったということも、なるほどとうなづける気がします。

孔子も、詩聖といわれた杜甫もその他、歴史に名を遺している人は多くは長く仕事にはつけず、迫害され、路頭に迷いました。
焚書坑儒の繰り返し、最近に至っても、文化大革命の批林批孔、枚挙に暇がないのですが、徹底的にせっかくの国を救う宝を潰してしまいました。



以上「ねずさんのブログ」からも一部引用



posted by rinko at 11:41| Comment(0) | 教育