1月9日、日本武道館鏡開き・稽古初め 2012年01月10日10:06
ご案内を戴いて、正午開式からお開きまで、鏡開きの一連の行事を堪能した。
まず、入り口の左手の弥生慰霊堂にご挨拶を済ませ、本館に入る。
日本の年間行事には、今居る人々が単に楽しむということに加えて、祖先から受け継いできた、民族の大切な文化と伝統を守り育てて行くという責務もある。
日本武道館は、設立趣旨からいっても日本古来の武道を育み育てていくことをずっと実践してきた歴史がある。
私はこの場で武道学園に籍を置き、卒業後は後輩の指導を担当し、剣道を通じて長年多くのことを学ばせてもらってきた。
平成14年に長年の剣道指導に対して感謝状も戴いた。
日本人として、このこころとからだに素晴らしい日本の伝統を刻んで来ることが出来た、という経験に対して、私の方こそ感謝に耐えない。
長年の間には式進行のスタイルも変化してきたが、今年もそれをよく受け継いでいた。
神殿の作り方も良かった。
素晴らしい演武の数々にも、特に最初の弓の的への命中にも拍手を送った。
これほど素晴らしい会になったのは縁の下の力持ちのスタッフの涙ぐましい活躍あってこそだとしみじみ思う。
縁の下とあえて言うのは、彼らは一切表に出ていなかった。
蛇足だが、今時の若者は目立ちたがり屋、出たがり屋なのでたいした働きも出来ないのに人前に出てみっともないと思っているし、毎年剣道の練成大会の本部をお手伝いして如何に裏方が大切か身にしみているから特にわかったのだ。
アルバイトのスタッフが、打ち合わせも十分で、粛々と会場の雰囲気を壊さないように動作し、報道のカメラマンもあれほど多くの人数にもかかわらず、会場内で動いても目立たず、あるときは正座し、片膝ついても美しく礼儀にかなった取材ぶりだったのも好印象だった。
それらに比べて、残念なのは一般の観客のマナーの悪さだった。
恐らく稽古始め(初め)に出る家族一同か、武道の経験者か武道が好きな人々には違いないのだろうが、「沈黙して」「静粛に」会場で椅子に座っていることができないのには呆れた。
30年も前の私が現役時代にはなかった現象だ。
武道が「礼に始まって礼に終わる」というのは実際の稽古しているときだけではないことは承知のはずだ。
武道に携わることそのものが生き方を問われるのだ。
一挙手一投足、油断があってはならない。
まして公共のマナーは武道を知らない人でも身に付けなければならないことだ。
永久に刻まれる功労賞受賞者に対しての式典の折にもざわざわ騒々しい。
なぜ表彰される団体、方々を心から祝福しないのか。
それらを含めて、稽古の仕方も拝見していると、指導者の責任は重大だなあ、ということをあらためて感じた一日でもあった。
日本人が武道を通して公共のマナーを見直し、広い視野で生き抜く力と日本人であることの誇りを取り戻すにはまだまだ地道な努力が必要と言わざるを得ない。
なお後のお汁粉会、ちゃんと戴きました。とっても美味しかったです。
有難うございました。
posted by rinko at 23:17|
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